連載小説「午後の点灯式」(第32回・最終回)

その日その時③
 新宿歌舞伎町の繁華な一画の夜空を照らすであろう、その屋上広告塔を見ながら近くのビルの最上階で催される小宴には、主催者の城川は勿論のこと、クライアントや田賀原をはじめ、水宮の会社の役員や社員と、その他にも沢木田が知る多くの関係者の顔ぶれが集まる筈である。
 紗代子に事の事情を話し、秋田の彼女の母親に会う日を繰り延べしても何ら差し支えのない、紗代子にも何の疑義を抱かせずに聞いて貰える話だったが、沢木田は何故かそうせず自らの心に尋ねるかのようにその当日、果たして自分はどちらを選ぶのだろうかと、どこか突き放すように自分を見ていた。紗代子だけは傷つけたくないという思いと同時に、心の奥底には小さな痛みと、そこはかとない希望の兆しが見え隠れしていたが、ただ漠然とどちらを選択しようと明日からは身の回りの環境が好むと好まざるに関わらず、大きく変わっていく予感だけがあった。
 スーツに着替え、アパートを出てから沢木田は、かおりからの今日の夕方からの点灯式の話を、紗代子はどんな思いで昨晩聞いていたのだろうかと、ふいに気が付くような思いを持った。かおりは沢木田が、当然のように点灯式に出席することを前提にして話している筈だった。昨日も今日も、紗代子からは携帯にメールも電話も無かった。
 歩きながら沢木田は、どこか残酷なことでもしでかすような、暗い思いと同時に、鋭利な刃物を胸に突き付けられているような、不安な思いと戦っていた。この時になって沢木田は、間違った決断をする自分を怖れながらも、電車に乗ったその一瞬の心の動きに任せて決めてしまうしかないと考えていた。手に下げたバックは、普段の通勤時より幾らか膨らんでいた。
 高円寺駅は白地の上下のスポーツウエアを着た若い男女の一群で溢れ、胸には青色で刺繍された高校名が鮮やかに映えていた。明るい駅構内には若さが放つ傍若無人ともいえる嬌声と明るい笑い声が響き、その渦の中から甘酸っぱい分泌物でも撒き散らしたようなものが、爽やかに吹き抜ける一陣の風に乗せられて匂ってきた。先頭の一人の男の合図で二十人程の白い集団は、三つの改札を占領するように次々と通って行った。沢木田もまた集団から少し遅れて改札を抜けていくと、前方の階段に広がる一面の白地の背が途中で真二つに割れた。その真ん中を通って、グレーのスラックスに浅葱色のジャケットを着た女が一人降りて来た。右手に小型のキャリーバックを持ち、階段の下で沢木田の姿を捉えた女の眼には微笑みの色は無く、思い詰めたような憂いの色が射していた。
 沢木田は身を固くした。そして瞬時に意を決した自身の心を疑い、怯むように一歩後退った。しかしその思いを告げるため、紗代子の視線に時間が静止した中を、沢木田は祈るような面持ちで歩を進めていた。       「了」