連載小説「午後の点灯式」(第24回)

約束への惑い①
 
 「ああ、ごめん。通販で健康食品を販売しているN社と言っていた。FFシートを使うそうだ。四月半ばの完成を目指して、五月の連休前には点灯式をやりたいと、城さん、張り切っていたよ」
 かおりはその会社から自分も何度か購入したことがあると言い、都内で大型の屋上広告を掲出するのは初の筈と沢木田に伝えると、おやすみなさいと声をかけて電話を切った。
 アパートに帰ると沢木田は、緩慢な動作で歯を磨くと、ペットボトルの水を半分ほど飲んで、日本酒の酔いが抜けない、けだるい身体をベッドに倒れ込むようにして、そのまま熟睡していった。
 明け方、久しく見ない夢を見て、ベッドから上半身を起こして、夢の続きを追うように、沢木田は茫然と窓ガラスにかかる白いカーテンに暫く眼をやっていた。
 一人の老女が二つの墓標の前に立っている夢だった。並んだ二つの墓の周囲には、老女の背丈ほどある枯れすすきが無数に立ち込め、分厚い真っ黒な雲に覆われた空からは今にも大粒な雨が落ちて来そうで、水っ気のない灰色のすすきを時折激しく揺らす横風が通り抜けていく。老女も頼りなさげに、その細い身体を揺らしながら、じっと二つの墓標に眼を凝らしている。荒涼とした風景の中に立つ、二つの墓標に刻まれた文字を覗き見ようとした瞬間、沢木田は眼を覚ましていた。余り感心した夢ではないなと、まだ暗い窓の外を眺めながら思いつつ、沢木田は朝風呂を沸かすためにベッドから離れた。
 今日は紗代子と一緒に新宿で夕食を約束した日だった。彼女から夕食の招待を受けた昨年の秋以来、二人は特別約束を交わすこともなく、暗黙裡に月一回は夕食を共にしていたが、紗代子と会う日はどこか沢木田の心は落ち着かなかった。彼女が水宮を失い、悲嘆と憔悴のなかを彷徨っている時は、沢木田は何の遠慮もなく様々な声をかけて、時には笑わせもしていた。紗代子が水宮の死から徐々に立ち直り、彼女本来の明るさと、やはり清潔としか言いようがない輝きを取り戻してくると、沢木田はその時々の瞬間、彼女が水宮の未亡人であることを忘れた。そして紗代子への心の傾きと、惹かれていく気持ちを制御しながら会話を持つことに、沢木田はやるせなさを覚えながら、その思いを処理できずにいた。彼は紗代子との秋田行きを約束したことが、今もまだ信じられない思いで、あの夜の彼女の言葉を思い出していた。
 沢木田はここ数日来、俺は一体どうしたいのだと、知らず知らずのうちに自分に問いかけている声を、日に何度か聞くことがあった。そして必ずその後に、水宮、君は何であんなに早く逝ってしまったのだと、呪詛の言葉を飲み込むのだった。紗代子に秋田へ誘われたとはいえ、果たして同行することが賢明な選択なのか、あの夜、彼女の家を辞してから、沢木田の胸に生れた疑問は今もなお消えることがなかった。              (つづく)