連載小説「午後の点灯式」(第11回)

奇妙な日常①

   その間、沢木田は今日の夜だけは何故か紗代子を独りにしておけないという、強い思いを持ち始めていた。

 ビールを一口飲みグラスを置くと沢木田は、

 「奥さん、今日はわたし、泊めさせてもらいます」

 と言った。

 紗代子は無言で頷くようにこくりと首をわずかに前に傾けた。

 「今日はまだ居間が仏間になっています。水宮の書斎でよろしいでしょうか」

 「いえ、仏間で構いません。水宮君のお骨を守りながら寝ます」

 紗代子が眠る寝室と同二階の水宮の書斎は避けたかった。

 この夜を境に、沢木田と紗代子の誰も知らない奇妙な日常が、翌日の日曜を挟んだ月曜日から金曜日までの五日間続いた。

 午後の七時が過ぎる頃の毎夜、沢木田は紗代子の家のインターホンを押し、家に上がるとリビングの椅子に腰を降ろした。彼女の家に泊まった翌日の帰り際に、一方的に沢木田が宣言したことを実行しているに過ぎなかったが、医者の訪問診療を病人が受けているような、そんな自然さで紗代子は応対し、ついでとばかりに夕食が振舞われ、一緒にワインを飲む時間を過ごしていた。沢木田も夕食は想定外でさすがに恐縮したが、考えてみれば午後の七時半という時刻は一般家庭の夕食時間帯であり紗代子も例外ではないのである。沢木田は今更のように自分の迂闊さに気づく思いで、一人住まいを続けているが故の己の鈍感さを呪った。時計の針が九時を指すと、決まって一分の遅れもなく沢木田は紗代子の家を辞した。

 その頃の沢木田は三鷹の家を出て、同じ中央線の高円寺の駅に近いアパートに住まいを移してから二年が過ぎていた。妻の京子が自宅で教える生け花の生徒と沢木田の関係に悋気の心を抱いたのが直接の原因で、それは根も葉もない言い訳するのも馬鹿らしいほどのものだったが、一昔に近い七年前の夏に、行きつけのスナックでバイトをする女子大生と江の島に日帰りで行った際、沢木田は新宿の駅構内で京子に目撃された傷を持っていた。それ以来京子は猜疑の眼を強めていた。実際、沢木田はその女子大生と、その後も半年程、京子の眼を忍んで付き合いを続けていた。沢木田が上京する前の十八の頃、郷里の小樽駅に近いパチンコ店の裏道にある喫茶店を、学生仲間と一時期溜り場にしていたが、そこの店にいたウエートレスの一人に寄せた当時の思いを、そのままそっくり思い出させるような、そんな女子大生のA子の容姿に惹かれて何度か店に通う内に、一緒に映画を観、食事をするようになったが、それ以上の仲に発展するようなことはなかった。兄が妹を思うように、半年後の卒業を控えて、沢木田は就職の相談相手になったりしていた。(つづく)